国語という科目は、一度解いたものと同じ問題は二度と出ません。国語力を高めることとは、すなわち、「長文を、初読でどれだけ頭に入れられるか?」「一回目に問題を解くときに、どこまで解けるか?」という初見の判断力を磨くことと同一となります。
そのため、テストの復習時に、2~3回、同じ文章を読んで、後出しじゃんけんで、「この答えの根拠は、ここに書いてありました」とするやり方に、どれだけ意味があるのか? きちんと考えなければいけません。
(※ ただし、活字慣れしていない子は、そのような振り返り方も意味はあると思います。この記事は、四谷大塚偏差値50以上の子に向けた記事だとお考えください)
国語のテスト直しの意義を考える
あまり悪く言いたくはないのですが、集団塾のテストや入試過去問への復習指示(=「間違えた問題を、ノートに復習するように」という指示)に対して、「それ、本当に必要なことですか?」と、疑問を抱くことは多いです。
なぜなら、よほど聡くて老成した子でない限り、国語のテストにおいて、「最初に自分がどう読み、どう解いたのか?」「結局、誤答の原因は何であり、どうすればよかったか?」について、一人で客観的に振り返るのは難しいからです。
たとえば、実際は、時間が無くて、まともに最後のほうの文章が読めず、問題が解けなかっただけである。それなのに、「『しかし』の後ろに筆者の主張があるが、そこに線が引けなかった。つまり、読み取りができなかった」などとノートに書いている。子どもが、こういったズレた振り返りをしてしまうことは、よくあります。
他にありがちなのが、「問7の根拠は、34行目にあり、〇〇と書いてある」と書いて、満足しているパターン。これに関しては、塾側が作成した解きなおしノートのサンプルを見ると、同様の内容が書かれているので、生徒はそれを参考にしているんですよね。
しかし、答えを見た上での、後出しじゃんけんの結果論での解説になってしまっています。初見の感覚ではないんです。二度と同じ問題は出ないのに、そのようなことをノートにまとめる意味はあるのでしょうか? 次回に何がつながるのでしょうか?
自分も集団塾の講師をやっていたときには、個人的にやる意味を感じていなくても、全社的な命令等でやらなければいけないことも多々ありました。ですので、現場の先生方を批判するつもりはないのですが・・・。
すぐに作業が終わるならまだしも、誤答が多ければ、ノートにまとめるのにも時間がかかってしまいます。であれば、その時間を他科目の勉強に使うほうが、よほど有意義だというのが持論です。
中学受験生の保護者様としては、このような復習の意義を、フラットにご判断いただく必要はあるでしょう。
「みんながやっていることだから、やるべきだ」「塾の指示通りやらないと、親の自分が不安になるから、子どもにやらせる」ではなく、お子さまの状況を踏まえて、本当に必要なことは何なのか? を、じっくりと考えてみていただきたいです。
抽象的で汎用性のある学びを見出すのがベスト
自分が家庭教師になってからは、授業内でテストの復習をする際には、生徒に色々と質問をして、テスト中にどう読んだか・どう解いたかを、詳細に振り返ってもらいます。それを受けて、なるべく、抽象的で汎用性のある指摘をし、次にどう生かしていくか、一緒に考えるようにしています。
たとえば、以下のような内容です。
[大問1に時間を使いすぎたから、大問2の最後の3問である問5~7が間に合っていない] → 時間配分を考え直そう。
[選択肢問題では、本文中にある言葉が含まれた選択肢を選んで誤答してしまった] → 設問内容を理解し、「設問の答え」を選ぶようにする。(「言葉」に引っ張られないようにする)
同時に、以前「ここを気を付けよう」とアドバイスしたことが、テスト中に意識できていたかも確認するようにしています。
ちなみにですが、テストが実施されてから、授業までに時間が空くと、復習という行為は形骸化するんですよね。本人がどのくらいの時間で、どう読んで、どう解いたかを忘れてしまっているからです。
それなら別に復習しなくてもいいし、その時間で、漢字を一個でも二個でも覚えたほうが有意義だと思います。
家庭で国語のテストを復習する際の注意点
親御様も一緒に考える / 重要語句の説明をしてあげる
「家庭で国語テストを復習する際には、どうすればいいですか?」と問われたなら、「親御様も一緒に問題を考えるようにしてください」と答えます。
もしかしたら、国語の「解説」を片手に説明をしている方もいるかもしれません。ですが、みなさんは、こういった経験はないでしょうか?
1.選択肢問題、子どもがイとウで迷った結果、ウにした。
2.ウは×で、イが正答だった
3. 子どもは考え直してみたが、答えはウとしか思えない。なぜ、イなのだ???
4.解説を見てみると、「イの根拠は、34行目にある」と書いてある。・・・って、それは見ればわかるがな! こっちの疑問に答えてくれ!!ヽ(´o`;
国語の解説は、子どもたちの個別具体的な読み方や、問題の考え方のつまづきに合わせて、書かれているわけではありません。そのため、「親御様が、解説を読み合わせする」という行為には、あまり意味がないことも多いのでご留意ください。
上記の例では、強引に正答イから逆算した解説をつくりあげる方もいると思いますが、そうではなく、親が問題を一から解いてみて、その過程を口に出すことで、子どもに考え方を見せてあげると良いと考えます。
【正しい答えを教える】のではなくて、「ここは〇〇だと思うけど、どう思う?」などと、【子どもと一緒に思考する】ということですね。そして、親としても、正解がウとしか思えないのなら、もうこの問題はそれで終了でいいでしょう。何度も言いますが、同じ問題は二度と出ませんので。
また、誤答した問題を全て復習するのではなく、数問を抜粋して扱う形で構いません。各誤答別に違った課題点が見つかるとは思うのですが、それを全て子どもに指摘しても、虻蜂取らずになるので、それならば、何か一つでも確実に身に着けてもらったほうがいいです。
ただし、ここまでに書いた「子どもと一緒に考えよう」というのは、あくまで超理想論です。中学受験の国語は難しく、解ける自信がない、という方もいらっしゃると思います。
その場合は、文章について「どんな話だった?」「こんな話だったよね?」という会話をしたり、難しい言葉や、心情語を教えてあげたりする、という復習の仕方が良いと考えます。これは、【ストーリー理解】【語彙を増やす】という目的での復習です。特に子どもの語彙力が増えるかどうかは、親御様に大きくかかっているので、地道なかかわりを続けていただけるとベストです。
国語のテスト直しは、絶対にやらなければいけないものではない
一番まずいのは、親御様が「国語のテスト直しは、やるべきものだ」と絶対視しているものの、復習をする理由については思考できておらず、なんとなくやってしまっているパターンです。
本来、国語のテスト直しをするにあたっては、「二度と同じ問題は出ない国語という科目において、復習を通して、何を身に着けさせるのか?」「次回以降に、どう生かしてもらうのか?」という、導き手側のフィロソフィーが必要になるのです。
国語の復習は、絶対にやらなければいけないものではない、ということは、ご留意いただくと良いと思います。国語は思考の教科です。子どもに形式的なことを機械的にくり返させると、だんだんと国語的な判断力は落ちていくのでご注意ください。
おそらく、「みんな復習しているようだから、やらなくては!」という固定観念・強迫観念にかられている親御様が多いのだと思いますが、国語の復習は、やらなかったからといって、他の子に差をつけられるかといえば、そうではないので、その点は、ご安心(?)いただきたいですね。
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