※ この記事は、いつもと違って常体で書いています。内容の性質上、敬体より常体のほうがふさわしいと考えたためです。
こんにちは。中学受験の家庭教師 鳥山と申します。
上記記事のアクセスが増えている。昨年6月に書いたのだが、最近、SNSで紹介してくださった方がいたようだ。(ありがとうございます)
記事を要約すると、以下のとおりだ。
・2025年6月、関西の大手塾・浜学園が、「小4で、『ヨンデミーレベル45』に到達していないと、塾の教材が読めない」と発表した。
・「ヨンデミーレベル45」とは、『ナルニア国物語 ライオンと魔女』や『モモ』といった、厚みのある児童文学を一人で読めるレベルを意味する。
・ 浜学園は、「塾で同じ教材を使っていても、子どもによって理解度に大きな差が生じるのは、『ことばの蓄積』が家庭環境に強く影響されるためだ」とも述べている。
子どもに読書をしてもらうためのアイディアは、今までにいくつも書いてきた。(この記事の最下部にも、関連リンクを貼っています)
しかし結局のところ、大切なのは方法論ではないと考えている。今回はそのことについて語りたい。
中学受験の勉強 = 受験ノウハウのハックではない
さて、中学受験はアカデミズムに直結している。中学受験国語で頻出の著者は、内田樹だの中屋敷均だの、大学受験国語でも登場する学者ばかりだ。
主に経済至上主義に基づいた業界の事情があって、巧妙に覆い隠されてはいるが、そもそも、中学受験は「エリートの早期選抜」なのである。
福岡県の進学塾の先生と何人か話したことがあるが、中学受験が当たり前ではない地方の家庭のほうが、「エリートの早期選抜」であることを充分に自覚し、腹は座っているように思う。
彼ら・彼女らは、地方民にありがちな「小学生に猛勉強させてかわいそうに・・・」という目線など気にしておらず、確固たる信念があるわけだ。
一方、首都圏だと、「周囲のみんながやってるから」で、受験を始めるパターンが多い。
雰囲気に流される方を非難したいわけではない。そうなってしまう「構造」にも問題はあるとは思う。しかし、今回はその点については語らない。構造は変えられないものなので、ああだこうだ言っても不毛だからだ。
もう一度書くが中学受験は、アカデミズムに直結している。「エリートの早期選抜」である。それはすなわち、家庭の文化資本が問われるということだ。
みなさんもご存知のとおり、近年は入試問題が難しくなっている。つまり、受験ノウハウをハックするだけでは、どうにもできなくなっているということでもある。
だから大手進学塾も、入試報告会などで「教養」の大切さを頻繁に述べている。他塾はまだ遠慮がちではあるが、一気に踏み込んだのが冒頭の浜学園の発表である。(浜学園えらい)
家庭全体で本を読む習慣がないのに、子どもの国語を伸ばしたいという願いは、「食生活は変えたくないけれど、子どもを痩せさせたい。どうすればいいですか?」と言っているのに近い。
親が「オペラの楽しさ」を理解しているか
内田樹、中屋敷均、古田徹也、福岡伸一・・・、アカデミズムに直結している中学受験とは、実は「オペラ」をたしなむようなものだ。
(怒涛の比喩乱れ撃ち文になって恐縮だが、この後も付き合っていただける方は、ぜひお付き合いいただきたい)
たとえば、小学生をいきなりオペラ座に放り込むとする。その子はオペラに興味なんて持てず、わけがわからないまま、ボーっとするのは想像に難くない。
そして、オペラ座に通いはじめて数ヶ月。おっ、うちの子、ちょっと理解してきたかなーとか思っていたら、素養のある子がさらにハイスピードで吸収していくのを「偏差値」として、目の当たりにすることになる。
ここで、そもそも親が内田樹・・・、いや「オペラの醍醐味」を理解しているのかという話になってくる。40年・50年生きている大人がわからないものを、ついこの間までミルク飲んでた子どもがわからないのは当然だからだ。
「自分はオペラを楽しいと思っている。でも、子どもには伝わらない」という方もいるかもしれない。
その場合、オペラを心からたしなんでいる人と比較したとき、実は無理している可能性がある。無自覚だと思うが、「楽しいから」というより、「役立つから」「みんなやってるから」という損得勘定や義務感で、オペラに触れている。
これは、n=1で適当なことを言っているのではなく、講師として何百もの家庭を見てきたからよくわかる。
「オペラを心から楽しむなんて、うちには無理です」と言うのなら、オペラじゃなくて、もっと大衆的な演劇が身の丈にあっているということになる。決して皮肉で書いているわけではない。背伸びするだけが中学受験ではないから。
あるいは将来、子どもが自発的にオペラに興味をもつまで待つか。
「オペラなんて観たくないです。大衆演劇とか、なんならショート動画好みます。でも、子どもには小学生のうちに、オペラ座に通って理解してほしいです」というとき、親御さんの嗜好自体を否定するつもりは全くない。
だけど、オペラをたしなむ人に混ざりたいんですよね。
オペラを当たり前にたしなんでいる人達からすれば、「オペラって楽しいもので、苦行じゃないでしょ」って思っている。だから、家庭でオペラを観ないための言い訳を探すことなどしないのだ。
話をまとめると、文化資本という、定量化・方法論化できない深い溝が実は存在して、そこをどう埋めるかだと思う。もちろん、無理に埋めようとしない、という考え方もある。
今回みたいな記事は、丁寧に書けば書くほど逆に角が立つので、わかる方にだけわかってもらうため、比喩ごり押しで書きました。
このまま終わるのもなんなので、最後に「親御さんが本を読むといいことがありますよ」とだけ伝えておきます。できれば、岩波新書あたりがいいですね。
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