こんにちは。中学受験の家庭教師 鳥山と申します。
インターネットで中学受験界隈を除いていると、親御様たちの間でよく飛び交っているのが「地頭」という言葉。
「うちの子は、地頭が悪い(だから、成績が伸びないのは仕方がない)」「あの子は、地頭が良い(だから、成績が良いのも当然だ)」という文脈で使われます。
この言葉、ネットではよく聞かれても、リアルではそこまで聞きませんよね。その理由は、決して「品の良い」言葉ではないからだと思います。
しかし、ネットに溢れているのは、潜在的な関心は大きいことの現れでしょう。
昨今の中学受験は、私から見ても「やりすぎ」と感じるくらいにハイレベルです。その「やりすぎ感」を言葉で示すならば、10年前の中学受験と、現在を比較したとき、「今のほうが、圧倒的に偏差値が取りづらい」という表現ができます。
このように、子どもが厳しい受験戦争にさらされる中で、親御様として、
「成績が上がらないのは、やはり『地頭』のせいなんだろうか? それなら、子どもに努力を強いるのは残酷かもしれない」
と、子を思いやる気持ちから、地頭の存在について考える方もいることでしょう。
一方で、「この子が成績が良くないのは、『地頭』が悪いからだ。私の育て方は悪くない」という理由付けのために、「地頭」を用いる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
元塾講師・現家庭教師から見た、生徒の「地頭」
私は10年以上にわたって、何百人もの中学受験生を指導しています。
その実体験から言えることとして、確かに、同じ授業を受けて、同じように宿題をこなしても、生徒によって、成績に差が出るのは事実です。
ある生徒(A)は、解説を聞けば、10を理解して応用問題まで解けるようになる。
一方で、別の生徒(B)は、同じ説明をされても、3の理解で基本問題もおぼつかない。
こう書くと、「やっぱり現場の先生も、『地頭』の存在を認めるんだ」と感じる方もいるかもしれません。
確かに、受験を開始したときの「スタートラインの差」はあって、その差が「受験当日というリミット」までに、子どもやご家庭の努力だけで埋まるかといえば、現実としてそうではないとは思います。
しかし、「地頭」という言葉は、子どもを理解する際の枠組みとして、あまりにも雑すぎるので、私は使いたくないのです。
先ほど二人の生徒の例を挙げましたが、同じ勉強をしているように見えるだけで、内実は全く違います。
(A)は、「聞く力」があるから、授業を理解できる。
しかし、(B)は「聞く力」が弱いので、「先生、何言ってるんだろう?」と思っているうちに、どんどん授業が進んでしまって、内容が理解できなくなってしまう。 【聞く力】
(A)は、読解力が高く、テキストの説明を理解する。
(B)は知らない言葉があったり、文章を読んでも、文字情報を頭の中でイメージ化できない。テキストを読んでいるようでいて、実は理解ができていない・浅い。 【文章を理解する力】
(A)は、「暗記」のときにも、「なぜだろう?」「ここに気を付けよう」「ここに注目して覚えると、間違えなさそう」というように、色々と頭が働いている。
しかし、(B)は頭が動いておらず、丸暗記を繰り返している。 【試行錯誤する力】
ネットの中学受験界隈で、「地頭」という言葉が使われるとき、上記の【聞く力】【文章を理解する力】【試行錯誤する力】といった全く違う力を、一緒くたにして「地頭」と言っているように見えます。
確かに、漠然と塾で問題演習を重ねたところで、身につかない力なので、「塾・問題集では伸びづらい力」と称することはできますが、「地頭」と一つにくくってしまうのは、あまりにも雑過ぎます。
「地頭」という言葉を使うことで、親御様の物事の捉え方が大雑把になってしまう危険性があるのです。
たとえ話をしましょう。「やばい」という言葉がありますね。この言葉は、「推しの新曲がやばい!」というように使います。
本来であれば、「推しの新曲」に対して、「素晴らしい」「この上ない」「斬新だ」「感動する」といった多様な感想があるはずなのに、「やばい」と大雑把に表現することで、細やかな感情が認識できなくなる。それと同じ現象が起こるのです。
すなわち、学習において、「子どもが何に困っているか」を分解して思考せず、「地頭が悪いからダメなんだ」と、雑に切り捨ててしまうことに繋がります。
それは、親子にとって本当に悲しいことでしかありません。
「困りごと」を一つ一つ解決する
では、どうすればいいのか? 子どもの「困りごと」を一つ一つ解決していけば、活路は見出せます。
たとえば、「聞く力」が弱いのなら、塾の授業を受ける前にテキストで予習をしていけばいいのです。
それでも、全く授業を理解しないで帰ってくるのであれば、今よりもっとカリキュラムスピードの遅い塾に転塾するというのも方法の一つでしょう。
(※ 当ブログのコンセプトの一つに、「塾では伸ばしづらい力を、いかに家庭で伸ばしていくか」があるので、気になる方は他の記事もぜひご覧ください。このページの最後尾の【関連記事】にも参考になりそうな記事を置いておきます。)
子どもの困りごとに対して、一つ一つ対応していって、それでも、本当にどうにもならないのならば、それは「成熟度」が原因かもしれません。
筆者が集団塾にいたときは、中学受験(小学生)と高校受験(中学生)をどちらも教えていました。
その中で、「中学受験リベンジ」の高校受験生の指導もしましたが、やはり同じ子でも、小学生時代と中学生時代では、物事を理解する力は違いました。成長につれて、良くなっているということですね。
当たり前のことですが、子どもの長い人生を考えた際、中学受験で結果が出なければおしまいかといえば、全くそんなことはありません。
成熟していない子に成熟を求めるのは、「早く背が伸びろ! 1年間で、あと10センチ延びろ!!」「何で身長180㎝にならないんだ!!」と言っているようなものです。
小学生段階で、180㎝に達していなければいけない理由もないと思います。親御様は、12歳の頃には既に180cmもあったのでしょうか?(もし、私の思い至っていない「理由」があるなら、ぜひ教えてください)
確実に目標身長まで伸ばすのは、魔法使いがいない限りは不可能ですが、牛乳を飲む、早く就寝するようにするなど、「背を伸ばすための工夫」はできます。
「確実に効果があるかはわからないけれど、できることはある」というスタンスで、フォローをしていただくといいと思います。
「地頭」を言い訳には使ってほしくない
「地頭」という言葉を皆が使いたがるのは、「ハイレベル化しすぎている中学受験」への戸惑いの裏返しであり、「がんばっても伸びないなら、これ以上、勉強を強いるのはかわいそうだ」と、子どもを思うやさしさでもあると思います。
ですが、私の個人的な思いとして、「親の育て方は悪くない。成績が上がらないのは、この子の『地頭』のせいだ」というように、「地頭」を言い訳には使っていただきたくないのです。
過去に、親御様の導き方の工夫が足りていなかったのかもしれません。やり方の問題ではなく、子どもに対する視座の問題なのかもしれません。あるいは、まだ子ども自身の成長の分岐点が来ていないだけかもしれない。
誰もあなた様の「過去」は責めていませんが、上手く行かない原因が何なのかは、振り返っていただいたほうがいいと思います。そして、「今から」取れる行動を考えていただきたいです。(本当に責めてくる人がいるなら、距離を置いちゃいましょう)
世間といった他人の目を気にした上での親の言動は、どれだけ、口で「あなたのため」と言っても子供には届きません。
しかし、親御様の「自分軸」による言動には、子どもは必ず愛情を感じてくれます。
お子様のために、親御様には言い訳をせず、もうひと踏ん張りしていただきたいです。応援しております。
家庭教師の生徒さんを募集しております。(指導科目は国語・社会)
詳しくは以下の「筆者プロフィール」のページをご覧くださいませ。
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