【中学受験】「自走」という幻想にすがっていないか? 勉強が上手くいかない本当の理由

「自走」論・「伴走」論

当サイトの「自走」に関する記事へのアクセス数は、一貫して多い傾向にあります。

おそらく、中学受験の学習において、何かしら上手くいっていないと感じている方が、(例:親子の衝突が増えた、親御様が伴走することに疲れた、労力に比して成績は上がらない 等)「『自走』ができるようになれば、今の不安はなくなるのかもしれない」と考えて、関連記事を検索されているのだと思います。

しかし、受験勉強が上手くいっていない理由は、本当に「子どもが自走していない」からなのでしょうか?

自走は、「思い通りにならない現状を変える魔法」ではない

不満・不安から解放されたいという動機は要注意

今まで、私が自走の記事を書いてきた理由は、親御様の過干渉で、子どもの自発性がなくなってしまう状態を避けていただきたいからです。これについては、記事の後半で詳しく書きます。

一方で、読者のみなさんは、「自走」とはどのような状態だと考えていますか? 「大人に何も言われなくても勉強をすること」程度に捉えていらっしゃる方も多いのかもしれませんね。

現状、「親子の衝突が増えた」「伴走することに疲れた」「労力に比して成績は上がらない」というお悩みがあるとして、「子どもに一人で勉強してもらって、不満・不安から解放されたい」というお気持ちから、自走にこだわっていらっしゃいませんでしょうか?

確かに、子どもが一人で勉強できるようになれば、親御様としては楽ですし、「やらされてる感」がなくなることで、成績も上がるかもしれません。

では、一人で勉強してもらうために、親御様としては具体的にはどのように導くべきでしょうか? また、自走させることによって、どういうリスクが想定されますでしょうか? そのリスクに対して、親はどういう心構えでいるべきでしょうか? 

そこまで考えず、「親に言われる前に、自分から勉強しなさい」と子どもに口で言い続けているだけなら、大変恐縮ですが、建設的ではないと思います。小学生は、まだ幼く、大学受験生(高校生)などと違って、一足飛びに何かができるようになるわけではないからです。

そもそも、子どもが物事を自発的に行うには、自己肯定感や、親からの信頼を感じる必要があります。「具体的にどのように導くと良いか?」については、当ブログの過去記事にヒントを書きましたので、ご自分なりの答えをお考えいただけますと幸いです。

「自走してほしい」と「成績を上げたい」は、トレードオフの関係性

「自走のリスク」についてですが、今まで親御様がみっちり学習を手伝ってきたのであれば、一人で勉強させると、多くの場合、成績は落ちることが予想されます。

集団塾に勤めていたときは、上位クラスと下位クラス、両方指導していましたが、上位生の親御様のフォローは、やはり手厚い傾向にありました(中でも上手な方は、学年が進むにつれて、徐々に手を放してはいましたが)。

一方で、下位クラスにも能力が高い子はいて、「もう少し親御様が伴走すれば、もっと上に行けるのにな」と感じることがあったのも事実です。

「一人で勉強してほしい」「成績を上げたい」というのは、基本的には、両立しない願いである可能性が高く、トレードオフの関係性にあります。

また、一人で勉強させるということは、すなわち、「子どもに任せる(子どもを信頼する)」ということです。子どもだけでやらせてはみたが、勉強のやり方が甘い、あるいは、成績が落ちたという理由で親御様が子にダメ出しし始めれば、自走とは真逆の方向性となってしまいます。

要するに、勉強のやり方にしろ、成績ダウンにしろ「親の思い通りになっていない」から、何か言いたくなるわけですよね。それでは親御様のスタンスが矛盾していて、一体、何をさせたいのかわかりませんし、子どもも戸惑います。

子どもに全てを任せるのであれば、「最悪、1年間くらい成績低迷しても見守りに徹する」「憧れ校には、学力が届かないかもしれない」、このレベルのことまで想定・許容することが必要なのではないでしょうか。

そして、リスクを伴ってでも「子どもに全てを任せることを良し」とする、あなた様だけの理由とは何でしょう? 

筆者の意見としては、完全自走させることで得られるものは、目先の成績ではなく、将来、勉強を続けていくのに必要とされる力だと考えます。親御様として、子どもの長い人生を見据えて、定性的なものに価値を置けるか否か? という話ですね。

自走を、「思い通りではない現状を変えてくれる魔法」のように捉えていらっしゃるのであれば、「それは違う」とは述べさせていただきたいです。

筆者の意見1:中学受験では、ある程度の「伴走」は必要

個人的には、中学受験の勉強は難しく、しかも、別にしなくてもいい受験を親御様の判断でやらせているのですから、むしろ、ある程度の「伴走」をしてあげる義理があるのではないか、と考えています。

ただ、その「ある程度」とは、子どもの能力/性格/学年/精神年齢親御様の仕事の忙しさ/論理的思考力/寛容性によって、内容が変わってくるとは思います。当たり前のことですが、皆が皆、佐藤ママみたいになろうとする必要なんてありません。というか、なれません。

各ご家庭、色々なお考えやご事情があり、どのくらいフォローをするのかは人それぞれです。子どもの興味を引くような本を購入したり、教材をコピーしたりするだけでも、ご立派な伴走です。この仕事をしていると、各ご家庭の親御様のがんばりには本当に頭が下がります。

ちなみに、「別にしなくてもいい受験を、親の判断でやらせている」と書くと、「いや、うちは子どもが中学受験したいと言い始めたんだ」と思う方もいるかもしれません。

しかし、よほどマイペースな性格でない限り、一般的に、子どもはめちゃくちゃ忖度して、親が求めているであろうこと(=「中学受験したい」)を口にします。

昔、私が勤めていた塾の先生は、「小学生の頃、俺は親に『もっと勉強したい』とは言ったが、『中学受験したい』なんて一言も言っていないのに、塾に入れさせられた」と言っていました。このようなパターンもあると思います。

筆者の意見2:親子で言いたいことが言い合えていればそれで良い

筆者は、過去の記事に書いてきたように、「今までになかった自主性が、少しでも見られるようになった」なら、それがその子にとっての「自走」になると思っています。

「小学生であっても、何でも一人でやれるようにすべきだ」とは、全く考えていません。もちろん、とても頭が良くて、大人っぽい子であれば、大学受験生のような自走も可能なので、大いにやれば良いですが、皆が皆そうなれるわけではないのです。

最初に書いたように、親御様が学習に干渉することによって「まずい方向」に行かなければ、それで良いと思います。

まずい方向とは、「親の過干渉で、子どもの自発性がなくなってしまう」ことであり、もっと言うならば、「子どもの心が半分ロボットのようになってしまう」ことです。

これは、親御様が何でも手取り足取りをしまくった結果、陥るパターンが多い。また、親御様が子どもを思い通りにしようとして、あれこれ、口を出し過ぎてしまう(子どもの意見・話はまともに聞いていないか、聞いても即否定)と、子はロボットになります。

仮に、親御様が伴走しまくっていたとしても、親子でお互いに言いたいことを言い合えている関係性であれば、全く問題はありません。

「現状、親が学習に手を出し過ぎているのでは? 本人のためになっていないのでは?」とお悩みの方も、上記さえクリアしていれば、過度に不安がる必要はないのではないでしょうか。

今回の話をまとめましょう。

・ 自走は、「思い通りではない現状を変えてくれる魔法」ではない。

・ これまで、手取り足取り手伝ってきたのであれば、「一人でやらせること」「成績が上がること」は、多くの場合、トレードオフの関係性にある。

・ リスクを踏まえた上で、それでも、自走をさせたい理由を、親御様自身の言葉で説明できるかどうか?

・ 伴走しまくっていたとしても、親子でお互いに言いたいことを言い合えている関係性であれば、問題は無い。

このブログ記事が、少しでも、親子の関わりで悩む親御様の役に立てば幸いです。


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