おおたとしまさ氏の著書『勇者たちの中学受験 わが子が本気になったとき、私の目が覚めたとき』のレビューを、元・大手集団塾講師(私の古巣は、今回の本にも登場していますw)、現・家庭教師の視点から書いてみたいと思います。
今回は、「エピソード1:アユタ」のレビューです。
(※ 関連記事はこちら。「エピソード2:ハヤト」 / 「エピソード3:コズエ」)
エピソード1:アユタ編
サピに転塾し、成績が低迷した後の家庭での展開は、「これはありがちだな」と思いながら読んでいました。
【成績が下がり、親から露骨に苛立ちがにじみ出る。→ 親が焦り、何か対策を打つが成績は上がらない。→ 一方の子どもは感情を押し殺してしまっている。】 本人の受験ではなく、「親の受験」になってしまっているんですね。子どもが全然悔しそうじゃないから、親の怒りや焦りが余計に増す、という負のループです。
子どもを導く際に、何より大切なのは、小さな成長や行動の変化に目をとめて、肯定してあげることです。しかし、おそらくそういうことはせず、結果だけに着目した。そのことも成績低迷に繋がってしまったのだと考えます。
最後の大希(父親)の「結局、本人の能力以上の結果は得られない」という分析も間違ってはいないかもしれない、と思う一方、ワンチャンスあった伸びを潰してしまったようにも見えます。
サレジオ学院の不合格がわかった後、「中学受験を始めた当初の目標からはだいぶ下げた目標ですら、最後までこれ(不合格)かぁ。アユタ(息子)が自分の期待に応えてくれたことは、結局いちどもなかったじゃん」という大希の述壊があります。
その目標って、大希が一方的に決めた目標ですよね。それが達成できなかったらがっかり・・・なんて、あまりにも勝手ですし、アユタがかわいそうすぎると思います。
たとえば、大希が奥さんから、「〇年以内に、部長に昇格しろ。体重は、**kgまで痩せろ」みたいな目標を決められて、毎日わーわー言われたら、激怒して家を出てくんじゃないでしょうか。でも、大希は子どもに同じことをしています。
とはいえ、私にこんなことを言われなくても、受験が終わった後、大希は自分の親としての未熟さに気づけたのですから、まごうことなき、良い親御様です。
親子といえど、所詮は自分とは別の他人同士である以上、どれだけ考えを尽くしても、相手のことがわからなくなったり、どれだけ言葉を尽くしても、自分の気持ちが伝わってなかったり。それは当然のことだと思います。
そのときに大事なのは、「もしかしたら、自分はあいつのことをわかってやれていないのかも?」「自分の本心は、あいつに伝わっていないかも?」という、「ちょっとした不安」を持つことなのだと考えます。そのちょっとした不安を父親が持つことができたのですから、大希の一家は今後も大丈夫なのでしょう。
次回は、ネットでも大盛り上がり(炎上?w)の「エピソード2:ハヤト」について書きます。
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