「中学受験は親の責任」伴走に疲れたあなたへ—“真面目な親”ほど苦しむ構造を分析

「自走」論・「伴走」論

こんにちは。中学受験の家庭教師 鳥山と申します。

「がんばって伴走しているのに、なぜか上手くいかない」
「やっぱり、私の関わり方が悪いのかな・・・」

ハードな中学受験。真面目で子ども思いな親御様ほど、上記のように、ご自分を責めがちです。

しかし、同時に次のようにも感じていませんでしょうか?

「子どもの伴走もできない『ダメ親』には見られたくないな」
「ママ友の子は、うちよりすごく成績がいい。わが家も、もっと成績を伸ばさないと・・・」

このような「思いぐせ」が生まれてしまう背景には、何があるのでしょうか? どうすれば解放されるのでしょうか?

この記事で、深堀りしていきたいと思います。

真面目な親ほど、陥りやすい「ジコセキ型」とは?

冒頭のようなお悩みを持つ親御様を、便宜的に「ジコセキ型」と名付けさせていただきます。

ジコセキ型とは、子どもの成績が伸びないときに「真面目で、自己責任を背負い込みすぎてしまうタイプ」のことです。

以下に、チェックリストを作りました。3つ以上の項目に、心当たりがある方は、「ジコセキ型」の傾向があるかもしれません。

・ 子どもの成績が悪いと、自分のせいかもしれないと感じることがある。

・ 子どもが努力していないように見えると、「私の教え方・関わり方が悪かったのでは?」と焦って、つい強い口調で叱ってしまう。

「私はこんなにがんばっているのに」という気持ちが先に立ち、子どもへの怒りと悲しみが同時に湧いてくることがある。

・ 「いつまで、この伴走を続けなきゃいけないんだろう」と思うと、とてつもない徒労感や不安感に襲われる。

・ 「中学受験は親の責任」と思ってはいるが、子どもの成績が伸びない原因を、つい外部(塾・テキスト 等)に求めたくなってしまう。

「佐藤ママ(佐藤亮子氏)」の著書を読んで、共感したことがある。あるいは、SNS上で尊敬している「中受ママ・パパ」がいる。

「佐藤ママの哲学」と「ジコセキ型」の根本的な違い

私が中学受験生の指導を開始した13年前(2012年)は、ジコセキ型の親御様は多くなかったように感じます。

しかし近年、大変熱心に子どものフォローをする方が増えてきたのと同時に、ジコセキ型の親御様も増えました。

一つのきっかけは、「佐藤ママ(佐藤亮子氏)」の登場ではないかと考えます。

彼女は熱心に中学受験の伴走をし、息子さんは3人全員灘中、娘さんは洛南高校付属中に合格しました。その後、4人とも東大の理科III類に入学しています。

こういう話を聞くと、「佐藤ママのように伴走をすれば、わが子も結果が出るのではないか?」と思うのが人の常です。

個人的な所感ですが、佐藤ママの他にないところは、「自らの哲学・信念」として、4兄弟への伴走を徹頭徹尾貫いた点だと思います。

今でこそ、佐藤ママはメディアの露出も多く、「すごい人」扱いです。

しかし、普通の受験生親だった頃は、周囲から「ちょっと、教育熱心すぎじゃない?(笑)」などと陰で言われていたことも推察されます。

昔は「ここまでする親」は本当に少数派だったので、言いかたは悪いですが、「変わり者」扱いだったのではないでしょうか。

でも、ご本人は他人からの評判など気にせず、やり抜いたわけですね。


佐藤ママは、著書(※)で「子どもが点数を取れないのは、子どもが努力していないのが悪いのではなくて、子どもを努力させられていない親の工夫が足りないと考えてください」と述べています。

そして実際に佐藤ママは、勉強のことでは子どもを叱らなかったそうです。(あくまで「彼女の自己申告」ですが)

要するに、佐藤ママは「責任」を徹底的に引き受ける覚悟を持っているのです。

一方、ジコセキ型の方の場合、佐藤ママのように、自分の中から湧き出る信念・哲学がないので、どうしても「ブレやすい」ように感じます。

佐藤ママ由来の「子どもの成績を伸ばすのは、親の責任である」という教育理念が、「強迫観念」のようになって、ジコセキ型の親御様の間に伝播し、多くの方々を苦しめているように見えるのですす。

だから、「中学受験は親の責任」と考えながらも、一方で、結果がでなければ子どもを叱ってしまうし、「私は、こんなにがんばっているのに、この子はそれにこたえない」などと、矛盾した思いを抱きやすいわけです。

たしかに私も、受験を開始して終えるまで、親としての「責任」は伴うと思います。

ただしその責任とは、学習環境を整えたり、子どもが前向きになれるよう声をかけたりすることです。

良くも悪くも、親御様に「テスト結果」はどうすることもできないのが現実です。(その点では、私は佐藤ママに賛同できません)

「成績が出ない = 親のせい」ではないので、子どもへの関わり方について反省されたとしても、ご自分を責めすぎないでください。

「あなたのため」が、子どもを追い詰めていないか?

ジコセキ型の方は、非常に「真面目」でいらっしゃると思います。

しかし一方で、「自己犠牲的ながんばりは、『子どもへの圧力』に転化されていきやすい」ので、ご注意いただきたいです。

ジコセキ型の方は、決して冷淡ではありません。子どもが辛そうなら一緒に泣くこともあるし、志望校に受からなければ一緒に落ち込みます。

ですが、そんなとき、子どもはどこかでこう感じているのです。

「ママ・パパが苦しんでいるのは、自分のせいなんだ」

「自分が悪いんだ。もっと期待にこたえなければ」

つまり、ジコセキ型の方は「共感」の形を持って、無意識のうちに「圧力」を子どもに植え付けてしまうこともある。これは「情緒的支配」ともいえるでしょう。

たとえば、親御様が涙したとき、お子さまがどのような表情をしていたか、思い出してみてください。

また「子どものため」と言いながら、実のところ、「他のママ・パパも伴走をしているし、自分も『ちゃんとした親』として見られたい」という気持ちから、学習フォローをしていらっしゃいませんでしょうか。

本来、受験勉強とは本人が「ある程度の自律性を持って」取り組むものです。

けれども、ゆがんだ形での親御様の関わりが続くと、「子どもの自我」が育たず、親子が同一化してしまい、学習の成果が伴いづらいだけでなく、情緒的な成長も乱れがちになるように思います。

最近、中学受験の「自走」という言葉がよく聞かれますが、提唱された方(※)は、私がここまでに書いたような流れを踏まえて、「精神的な子離れを」とおっしゃりたいんだと思います。

※ 「自走」の提唱者は、『中学受験 自走モードにするために親ができること』の著者:長谷川智也先生です。

「子離れ」というのは、どんな結果が出たとしても、子どもが取り組んだ成果に過ぎず、「他人の私には、干渉できないことなんだ」と受け止めることです。

「自走」という言葉は、定義が非常にあやふやで、受け手が「良いように」捉えがちです。

伴走に疲れた方が、「自走 = 伴走の負担から解放される方法」と曲解したり、大学受験生(高校生)のように「完全放置」しても何とかなると思ったりしてしまう。

しかし、中学受験生は「小学生」です。

先にも書きましたが、受験を開始して終えるまで、親としての責任は伴います。逃れられません。

中学受験することを決断したのは、子どもではなく、親御様だからです。

くり返しますように、責任とは「どんな結果も受け止める」「前向きに勉強できるよう、環境を整えてあげる」ことです。

受験の伴走に親の責任は伴うが、成績や結果は親のせいではない」と捉えていただくのが、大切だと思います。

「負けたとき、何をするか」が、「親の役割」になる

個人的に、中学受験生の親御様は「サッカーのサポーター」のようなものだと考えます。

サッカーは他スポーツと比較したとき、試合中にチャント(応援歌)を歌い続けたり、飛び跳ねたりと、熱心な応援が行われます。

サポーターは「俺らが応援で勝たせる!」という意識が強いのです。

その反面、Jリーグでは試合が終わった後、選手が観客席にあいさつに行く文化があって、敗戦したときは、「気持ちがこもっていない!」「やる気あるのか!」とサポが選手を罵倒することがよくあります。

彼らの「応援で勝たせる」という理屈に則るなら、サポーター自身にも敗戦の責任があり、真摯に受け止めなければいけないはずですが、負けると「選手のせい」なんですよね。

応援と暴走の境目は、実は紙一重なわけです。

まあ、サッカーの場合は「選手はプロ」「興行である」ことから、ある程度、文句や批判も許されるかもしれません。

しかし、中学受験のサポーター(親御様)においては、「負けたときに何をするか」が肝要です。(※ 『負け』という言い方は、がんばった子どもに失礼ですが、便宜的な表現として使います)

子どもにとって、「負け」が意味のあるものになるように、その後の時間をどう支えていくかが、親御様の大切な役割だと思います。

そもそも、中学受験自体が、子どもの長い人生の一つの過程にしか過ぎません。

私立中学は、公立中学のように、子どもを一から育て上げる義務を負っておらず、「はじめから、育てやすい子」を選抜します。

その選抜基準は、たいていが「早熟な子」です。塾のカリキュラム・テストも、早熟な子が取り組むことを想定して、つくられています。

しかし現実問題として、12才未満の子は発達(「語彙力」「人の話を聞く力」など)に上下差があるため、現行カリキュラムの中で苦しむ子がでてくるわけです。

くわえて、学力向上には、子どもの性格も関わってきますし、運の影響も無視できません。

大人として長い目で見守ることが、本当の意味での受験サポーターとしての責任」なのではないかと、個人的には考えます。

「親の自分が変わらなければ、何も変わらない」と踏み出した方だけが、少しずつ景色を変えていけるのです。

「負けを知らない」親は、「ジコセキ型」になりやすい

最後に、ジコセキ型が生まれやすい背景条件も考えてみます。それは「負けを知らない」方が多いのではないかということです。

ジコセキ型には、専業主婦・主夫も、共働きの方もいると思いますが、いずれにせよ、割と人生が上手くいってきた方なのではないでしょうか。

あくまで、私は個人の方の批判をしたいわけではなく、この問題が起こる「社会構造の分析」をしたいと考えます。

その点をご留意いただいた上で、以下を読み進めていただけると幸いです。

これまでの日本社会は、社会的なレールに乗ることで、一定の収入・クラスが得られるケースが多かったと思います。

つまり「考えぬく」ことの重要性に迫られずとも、「従順さ」さえあれば人生が上手く行く場合もある。

しかし厳しい言い方にはなりますが、中学受験は「思考停止に報いる」世界ではないんですね。

子どもは親の思い通りには動きませんし、成功パターンは各家庭によって違うので、誰かの「猿真似」をしたところで結果は出ません。

すなわち、正解がない中で、考え続ける姿勢が強く要求されるわけですが、「自分で考えてこなかった方」は、このタイミングで弱点が露呈されてしまうわけです。

では、「この構造からどう抜け出すか?」については、続編でじっくり書きました。以下のリンク先をご覧ください。


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