こんにちは。中学受験の家庭教師 鳥山と申します。
「中学受験、このまま続けるべきか?」「高校受験の方が合っているのでは?」、成績や子どもの様子を見ながら、迷い始めた親御様もいらっしゃるのではないでしょうか。
子どもの成績や性格、家庭の事情など、考えるべきことはたくさんありますが、実はもう一つ大事な視点があります。
それは、「どちらの受験スタイルが、わが子に本質的な学びをもたらすのか?」という問いです。
今回の記事では、私自身が公立中と私立中高一貫校の両方に通った経験、そして12年にわたる指導経験をもとに、「中学受験の本当の価値」について考えてみたいと思います。
※【関連記事】 『中学受験に行き詰まったら? 高校受験のメリット・デメリットを徹底解説』
私立中高一貫校・中学受験の良さ
そもそも私自身は、中学受験を経験していません。
しかし、縁あって高校から私立の中高一貫校に編入したことで、公立と私立、両方の教育を受けることができました。
結論から言うと、「私立中高一貫校・中学受験ならではの長所」は、以下だと思います。
・ 教員の数が多いため、生徒一人一人に目が行き届きやすい。
・ 受験勉強の内容が「本質的」であるのは、圧倒的に中学受験。
では、上記のように考える理由について、実際に両校に通ったエピソードを交えながら、お話ししていきたいと思います。
ただし、あくまで、自分がいた環境の話であり、全ての公立中学や私立中高一貫校に当てはまると言いたいわけではありません。
その前提をご理解の上で、読み進めていただければと思います。
私立中高一貫校の長所:生徒一人一人に目が行き届きやすい
まず、自分が通った公立中学校では、先生から誉められたり、認められたりした経験がほぼありません。
自分だけではなく、他のクラスメイトが誉められているのを見た記憶も全然ないのです。
授業と部活と定期テストがあって、淡々と繰り返しの生活が行われるだけ。
ただ、うちの中学がこんな環境だったのには、はっきりとした事情があったのですが・・・(後述します)、いずれにしても、私にとっては閉塞感を覚える場所でした。
その後、進学した私立高校では、「先生が、ちゃんと自分を見てくれている」と思うことが非常に増えました。
小論文や日本史のレポートの内容を誉めてもらったり、文化祭の演劇では助監督と演者を両方やって、裏方スタッフたちとも折衝を重ねたことを労ってもらったり。
成績別にクラスが分かれている高校だったのですが、3年生のときには上のクラスに上げてもらうことになりました。
それまで、私は映画・映像系の専門学校に進学しようと考えていたのですが、クラスアップをきっかけに大学受験することを決意し、きちんと勉強しはじめました。
先生方は、ただ私のテストの結果だけ見ているわけではなく、学習が続けられそうか否かといったポテンシャルも見極めてくださったのだと思います。
公立中学校との違いは、「人的リソース」と「停学・退学カード」
私の通った中学と高校の違いは、何によって生まれたのでしょうか?
大人になって、冷静に振り返ると見えてくるものがあります。
まず、私の通っていた私立中高一貫校は、生徒数の割に教員の数が多いと言われていました。
プラス表現をとれば、良い小論文を書いた生徒を認めて、みんなの前で誉めるような時間的・精神的な余裕がある。
マイナス表現をとれば、生徒の問題行動を監視しやすいということになります。
生徒数に対して教師の数が多ければ、一人の先生が見落としてしまったことを、他の先生が見ていてカバーできる。
だから、人的リソースが豊富な私立中高一貫校は、子どもにとって良い環境になるのだ、と考えます。
一方で、私の通っていた公立中学校、実は荒れていたのです。
最初は、私も子どもながらに「先生も大変だな」と同情していました。
しかしあるとき、「掲示物が燃やされる」という事件が頻発し、犯人が見つからないからといって、何度も全校集会を開く。
そして、生徒全員に事件についての作文を書かせる、といった対応を繰り返されて、最悪な気分になりました。
自分はその件には関与していないのに、そうやって「生徒全体」として扱われることで、自分の「個」を無視されているように感じられてくるんですよね。
先生たちは、問題児を制することでいっぱいいっぱいで、他にいっぱいいるはずの「普通の生徒」に目を配る余裕がなかったのだと思います。
「現代の話」をするならば、塾講師として中学生の指導をしていたとき、
- 「授業中に、教室を抜けだす子がいる」
- 「先生に反抗する子が一人いて、連鎖的に他の子たちも指示を聞かなくなり、学級崩壊状態」
・・・といった話は、そこそこ聞きました。
やっていることは、私の時代とあまり変わらないと思います。(※ 繰り返しますように、「すべての公立中に当てはまる」と言いたいわけではないので、ご留意ください)
しかし私立中高一貫校であれば、「停学」「退学」という最終カードがある分、公立よりも圧倒的に生徒管理は楽なはずです。
現場の先生ではなく、「システム」に課題がある
私は、「公立中学の先生が悪い」と言いたいわけではありません。
そうではなくて、「公立中学と私立中高一貫校のシステム的な違い」によって、生徒対応の良しあしが生まれてしまうのだ、と述べたいです。
数年前、ライターの仕事をしていたとき、公立中学の先生に何度かインタビューさせていただいたのですが、本当に大変な仕事なんだな、とわかりました。
有名なところでは「ブラック部活」という言葉がありますが、それ以外にも雑務が課せられ過ぎています。
それゆえ、「普通の生徒」を丁寧に見るための物理的な時間が取れなくて、現場の先生方も、非常にもどかしい思いをしていらっしゃるようでした。
私の母校の先生方も、そのような苦労はされていたのでしょう。
中学受験の長所:「読む」「書く」「考える」という本質が身につく
また、中学受験と高校受験を比較したとき、中学受験のほうが勉強の本質に迫れると思います。
昨今、「シンギュラリティ」という言葉が話題になっています。
AIが日に日に高性能化しているのは、皆さんもご存じの通りです。
知識を正確に暗記することや、複数のパターンを認識した上で物事を処理することは、人間なんかがAIに到底かなうはずもありません。
一方で、以下の三要素は、絶対に人間にしかできないことです。
「読む(=他者の言いたいことを理解する)」
「考える(=多角的に物事を検討する)」
「書く(=自分の言いたいことを、他者に伝わる形で表現する)」
今後の社会で活躍するには、どんな分野でも必要とされることになるはず。
だからこそ、昔から、東大はそれらを高度なレベルで求める問題を作ってきたし、センター試験も共通テストに変更された。
中学受験の勉強は、非常に難易度が高いです。
難しい理由は様々ありますが、一つには、問題を通して、「読む」「書く」「考える」の三つを求められることが多いから、ということが挙げられます。
たとえば、サピックス『国語 Bテキスト』のような問題は、高校受験ではほとんどの子が取り組むことはありません。
あれだけ歯応えのある記述問題は、上位校(開成高校など)を受ける子が、過去問演習において取り組むくらいだと思います。
『Bテキスト』に関していえば、デメリットもあります。
たとえば、子どもによっては、本文の長さにめげてしまったり、大人っぽい心情・抽象概念が理解できなかったりして、文章を読むことに苦手意識がついてしまう、といったことです。
ですが、先生や親御様のサポートを得ながら、『Bテキスト』を何とか読みこなし、難しくても、しがみついて学習していけば、必ずや大きな糧になるのです。
高校受験で、「学習の本質」は身に着くのか?
それに対して、高校受験で「読む」「考える」「書く」が身に着くか? というと、システム的にやや身に付きづらいように感じます。
高校受験は内申点を使って受験することが多いのですが、内申点の基準になるのは、学校の定期テストです。
定期テストは、ごく狭い範囲の問題パターンを覚えてしまえば、高得点が取れるテストなので、「読む」「考える」「書く」は、あまり必要ありません。
元々頭の良い中学生や、良い指導者に出会えた中学生は、定期テストであっても、先の三要素をフル活用して得点することを考えるでしょう。
ですが、それ以外の子は、目先の点数を取るために、特に工夫もなく『学校ワーク』を何周もすることになると思います。
そこには、「読む」「考える」という所作はありません。
公立中学校の先生の中には、本質的なことをやろうとがんばっている方もいらっしゃるのですが、上手くいかないという事情もあります。
たとえば、自分が通っていた公立中学の国語の先生は、「大学のテストは持ち込み可だから、中学も同じで良いと思う」という理由で、「教科書持ち込み可」という定期テストを作成したことがありました。
教科書には予め書き込みをすることも許されており、すなわち、暗記やパターン認識で解ける問題は何一つないテストであるため(漢字問題すら、範囲の暗記では解けない)、真の読解力が試される内容になったわけです。
革新的すぎますよね。さっき母校をけちょんけちょんに言いましたがw、この先生のことはすごく好きでした。
しかし、多くの子にとって、このテストは難しすぎたようで、学年平均点は、100点満点中、40点台前半という低さ。
学年全体の点数分布を見てみると、多くの生徒が下の方でダンゴ状態になっていました。
中・下位層の間で差がついていないので、こうなると、「内申点」が付けづらくなってしまいます。
以降、国語の先生は普通の問題しか作らなくなってしまいました。
このテスト、公立中学だから成立しなかっただけで、生徒たちの読解力が、一定水準以上にある私立中学校で実施したのであれば、むしろ望ましい取り組みになったと思います。
そういう意味でも、私立中学は良いんですよね。
大人が理解していない場合、中学受験の学習に優位性は生まれない
高校受験のことを、悪く書いてしまいました。
しかし、あくまで、私は「読む」「書く」「考える」の三つの技能が大事だと考えていて、それらを効果的に身に着けたいのであれば、中学受験に軍配が上げられるだろう、という考え方です。
仮に中学受験したとしても、周囲の大人が、クラス分けテストの度にパターン学習的なことばかりさせてしまえば、結果として、「読む」「書く」「考える」は、あまり身につかないと思います。
単純に「世間的に良いとされる、偏差値の高い大学」を目指したいというご家庭であれば、無理に中学受験にこだわる必要はなく、高校受験が向いている場合もあるでしょう。
(※ 関連記事:『中学受験から高校受験へ切り替えるべき?(1)高校受験のメリットを徹底解説』)
まとめ
「なぜ、中学受験をするのか?」という問いに対して、答えを考えることは、実は簡単なようでいて難しいと思います。
この記事を書く前に、Google検索して上位表示されたサイトを読んでみましたが、「一般論ばかりだな」と感じました。
それらの内容を否定はしませんが、親御様が、そういった借り物の言葉を「中学受験をする理由」に据えてしまうと、受験勉強が上手くいっていないと感じたとき、「病む」ことになる場合もある、と感じています。
中学受験の学習は、子どもにとんでもない負荷がかかります。
だから、本来は「なんとなく」で開始するものではなく、親御様の信念が必要です。
そして、信念は、今回私が書いたような具体的な経験から生まれるようにも思うのです。
何を動機とするかは人それぞれ。そして、それを自分で考えることは苦しいことなのかもしれませんが、ぜひ思索を深め、ご自分だけの解を見つけていただきたいと思います。
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