中学受験の家庭教師 鳥山と申します。
『二月の勝者』は、業界人から見てもすごくリアルです。特に序盤〜中盤にかけては、「あるある」と思わされる場面の連続で、興味深く読んでいました。
しかし、物語が終盤に向かうにつれ、強く「保護者ウケ」を狙った展開が多くなったように思い、個人的には違和感を感じてしまいました。
元塾講師の視点から、そのことについて書いてみます。前回に引き続き、今回も塾の裏話が満載です。
【前回記事:『二月の勝者に見るメンタルの重要性。花恋の不安は超リアル。元塾講師が語る』】
加藤匠の爆伸びは、「親の願望」の投影?
3年前、『二月の勝者』について、上記の記事を書きました。ここで語ったのは、加藤匠くんのような子は、極めて空想上の存在に近いという話です。
「元々持つ能力(形質的に持ち合わせている力)」が高い子は、やる気がなくても、ただ授業を聞いているだけで、平均くらいの位置はキープできます。
一方、加藤くんは、小6まで、3クラス中で1番下のクラスだったので、「元々持つ能力」は高くはないことが伺えます。
その場合、最終学年で本人のモチベーションが上がったとしても、小5までの学習の積み上げがない分、家庭学習を自力でやり抜けないので、大人が相当なフォローをしてあげる必要が出てくる。
フォローして、フォローして・・・、やっと「伸びる可能性」が生まれるような感じです。作中のように「自力で爆伸び」は、超奇跡のレベルだと思います。
作者の取材力の高さからいっても、そういう現実を理解していないとは思い難いのです。
そのため、加藤くんは「読者(親御様)の願望」を投影するためのキャラクターとして、生み出されたのではないか、と考えました。
ちなみに柴田まるみさんも、同様の意図で生まれたと推測しますが、業界人目線で見ると、彼女の成績の伸び方のほうが、まだリアルさはあると思います。
黒木の「泣かせる演出」は、塾講師の「切り札」
読んでいて、思わず「えっ!?」と声が出そうになったのは、不合格が判明した後、22:00すぎに、黒木先生が加藤くんを呼び出したシーン。
明日も受験があって早起きしなければいけないのに、どんな理由があれど、遅い時間帯に呼び出すのは、あり得ません。優先順位がおかしすぎます。
で、黒木先生が就寝時間より重視したものが何かといえば、「加藤くんに、本心を吐露してもらうこと」。へ、へぇーー・・・。
確かに、私の指導経験上も、悔しくて号泣した子が、受験で上手く行ったことはあります。ただ、それは本人の「自発的な感情」が動いたから意味があったのです。
黒木先生は、加藤くんが泣くように、「強引に誘導」しているようにしか見えません。それって、明日に備えて寝るよりも優先すべきことなの???
この展開を読んでいて、思い出したことがあります。私が働いていた集団塾には、「子どもを泣かせる」という行為を、「カード(切り札)」として持っている先生がいました。
たとえば、保護者が「家で、子どもが勉強しない」と塾にクレームを入れてきたり、あるいは、生徒が退塾したりしそうになると、その子と個別に面談をして、カードを発動させるわけです。
カードが発動すると、保護者によっては「普段、ヘラヘラしているうちの子が『受験したい』と泣くなんて・・・。ついに、本気になったのかも!?」と期待し、一時的には溜飲が下がる。
すなわち、黒木先生の手段は「保護者ウケのやり口」であり、生徒本人のことを考えてのやり方ではありません。
黒木先生が、『二月の勝者』中盤までの「悪魔的キャラ」のままだったら、きっと、次のセリフを言うシーンがあったことでしょう。
黒木「加藤さんは不合格ですか。しかし、上位校への受験をけしかけたのは私。このままだと、親御さんの心象も悪くなってしまう・・・。
ここは、『匠は桜花ゼミナールのおかげで、全力の受験ができた。人生において大切なことを得た』と思ってもらうようにしましょう。・・・よし、『あのカード』を切るか」
しかし、実際はそうではなく、純粋に加藤くんのためを思って行動している様子が描かれました。
つまり、「親にとって気持ちの良い物語」を見せるために、黒木先生の「悪魔的キャラ」は封印された。そして、「聖人的」な描写になったのではないかな、と推測しています。
原秀道が掘り下げられなかった理由
「原秀道くん」の家庭の掘り下げがなかったのも、読者への配慮かなと思いました。
今川理衣沙さんの家庭と、原秀道くんの家庭は、「子どもの実力を無視した、無茶な受験スケジュールを組んでいる」、「不合格になったときの子どもの気持ちを想定できていない」という点で、共通しています。
しかし、私が読んでいて「おいおい、やばいな」と思ったのは、圧倒的に原くんの家でした。
作中でもセリフがありましたが、今川ママは「わかっていない」のに対して、原ママは「わかっている」のに、あの受験パターンなわけです。
言葉を選ばずに言うならば、今川ママはシンプルに浅薄で、思ったことを全て口にするので、傍から見ていてわかりやすい方なのです。
また、理衣沙さん本人は、自分が置かれた状況をメタ認知できていて、成績は悪くとも、頭は良い子だと思います。大人でも、客観視ができていない人は多い中で、小6であれなら将来有望です。
一方の原ママは、何が原因でああなっているのかが全くわからず、底知れないものがあります。秀道くん自身も、理衣沙さんと違って、意志のないロボットのような目をしていますし・・・。
黒木先生も、「原さんの家庭は、完全に見逃していた」、「ここ一ヶ月くらいで考え方が変わったんだ」と悔やんでいたので、私としては、あの手練手管の黒木先生が! ついにピンチに!? みたいな展開になるのかと、ワクワクしていたのに、そんなことはありませんでした。
なぜ、入試直前一ヶ月間で、原ママの考えが変わったのかも気になるところ。
おそらくですが、原さんのご家庭には、何かしら根深いもの(親御様自身のコンプレックス 等)があるのでしょう。
しかし、特に深堀りもなく、フェードアウトしていったのは、以下の理由が考えられます。
1.最終回に向けて、話を畳まなければいけなくなり、今川家を描くのにいっぱいで、原家には話数を割けなかった。
2.原ママの抱えているものが、あまりにも重すぎて、マンガで掘り下げて表現するのは困難だと考えた。
3.読者が「自分も原ママに似ているかも?」と感じたとき、作品に嫌悪感を抱かせないため。
3については、「でも、今川ママは詳しく描写されていた」という反論が考えられますが、今川ママタイプの読者は、マンガを読んでも、自分に似ているとは気付きづらいように思います。
まとめ
最後のほうで、今さら出てきた「島津パパも、息子のことを思っていた」という描写も、読者の共感の誘導を狙ったのだと思いますが、さすがに「いい話」にしちゃうの、ズルくないですか?
結果として、順くんは前向きに生活を送り、開成中にも合格しましたが、心が潰れてしまうことだって、実際には起こり得た。だからこそ、終盤の島津パパの描写は軽すぎると感じました。
『二月の勝者』の物語の終盤は、子どもに焦点を当てず、「親の理想」を描いたファンタジーになってしまって、そこがちょっと残念でした。
(結局、マンガも商売なので、消費者のニーズにこたえなければいけないのはわかりますが・・・)
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